新(王莽)

漢の外戚、王莽は孺子嬰の居摂二年に銭の改鋳を行い、翌年、帝位を簒奪し国を「新」と号したが一代と保たず、新が滅ぶまでの僅か二十余年間に幾度も銭の改鋳を繰り返した。当時の民衆にとっては甚だ迷惑であったと思うが、お陰で今日、我々を大いに楽しませてくれる。

        大泉五十
西漢末の居摂二年に銭径二分、銭重十二銖の「大泉五十」を発行し、五銖銭の五十倍で通用させた。また、この時に刀の形をした「契刀五百」と「一刀平五千」を同時に発行した。それぞれ五銖銭の五百倍および五千倍とした。従来と異なるのは、銭の表示を重さの単位ではなく五銖銭との交換数量で表示したことである。。なお「大泉五十」は王莽一代を通じて用いられ、今日においても多数存在する。大小様々であるが、刀貨と併用した初期銭及び六銭併用期並びに貨泉併用期の三期に大別することができる。
伝形
面四出
小泉直一
王莽は帝位に就くと、国号を「新」と改め、始建国と改元した。その年の春、五銖銭を廃すると共に契刀及び一刀も廃した。そして新たに銭径6分、銭重一銖の小泉直一を鋳た。
なお小泉直一と大泉五十は地方でも鋳造された。
始建国二年、王莽はまたもや新たな銭貨を作った。史文では金、銀、亀、貝の類も作ったとあるが、今日あるのは銭貨六品と布貨十品である。すなわち幺泉一十、幼泉二十、中泉三十、壮泉四十を鋳造し、これに小泉直一と大泉五十を加え、銭貨六品と為す。同時に、周時代に倣って面背に周郭を施した布貨十品(小布一百、幺布二百、幼布三百、序布四百、差不五百、中布六百、壮布七百、第布八百、次布九百、大布黄千)を鋳造した。
大布黄千
貨泉
布泉